常々交々(ツネヅネコモゴモ)日記

九州の大学に通う女子。日々の暮らし、勉強したこと、常々思っていること、好きなこと絶賛発信中!

文化人類学(Anthropology)とは

前回の投稿で、デザインと文学についての授業の話を書きたいと言ったけど、

後日受けた文化人類学の授業がおもしろかったので

そのことについて書いていきたい。

 

文化人類学。。。

なんですかそれ。

と思ったから、この授業を受けることにした。

今日は初回だったので、イントロダクション(導入)の内容だった。

まず、学問というのは不可視なもの言語を使って可視化していくものだ

という説明があった。

学問とは

なんて考えたこともなかったが、確かに

社会学は人間社会のごちゃごちゃとした仕組みを言葉で説明しよう

という学問だし、

理科系の学問だって、普通の言語に限らず数字も使ったりして

この世にある物質や動物、機械の仕組みを解き明かしている。

 

では、文化人類学は何を言語化しているのか。

それは、カルチャーショック。

だそうです。

 

文化人類学とは、さまざまな文化圏へフィールドワークに出向き、

参与観察(現地の人々と同じ生活様式を体験することでデータを得る手法)によって

文化の違い=カルチャーショックを民族誌として言語化する

という学問である。

 

では、カルチャー=文化とは?

これも考えたことのないような問いだが、

講師の先生はこう説明された。

「文化とは、世界を理解可能にし、

当たり前の日常を生み出す意味の網の目である。」

 

。。。。?

 

ひと目では意味不明だったが、

その後の話を聞いていると、少しだけわかってきた。

 

文化が違えば、食べるもの、家のつくり、服装、言語、宗教、思想など、

いろんなものが違っている。

視点を変えれば、文化が世界に差異をもたらし、

人々のそれぞれの日常を作っているといえる。

その日常は、一定の地域内で人々の当たり前をつくる。

 

文化があるから世界は多種多様な人々がいて、

それぞれの当たり前を生きている。

 

文化を理解することは世界を理解することであり、

文化は当たり前の日常をつくっている。

 

おそらくこう言ったことだろうか。

解釈の仕方はひとそれぞれだが、私はこう考えた。

 

まとめとして、文化人類学というのは

人々の当たり前をつくる文化の違いを、

実際現地へ出向き(フィールドワーク)非日常を体験することで

感じたカルチャーショックを民族誌として言語化する。

という具合に自分の中で落ち着きました。

 

こういうことを時間をかけて考える機会は

そうそうない。

だからなんか楽しかった。

 

それだけの話でした。