常々交々(ツネヅネコモゴモ)日記

九州の大学に通う女子。日々の暮らし、勉強したこと、常々思っていること、好きなこと絶賛発信中!

「陽キャ」「陰キャ」について私が常々思うこと

最近大学に入学した私ですが、

友達との会話の中で

「あの子すごい陽キャだよね。」

「あのクラス陽キャの集まりじゃん。」

「○○学部は陰キャ多そうだよね。」

とかいう話題になる。

 

言葉の説明をすると、

陽キャ=陽気なキャラクター

陰キャ=陰気なキャラクター

と言った感じだろう。

 

これまでの経験でいくと、なぜか

陽キャ陰キャ陽キャの方が陰キャよりも立場が上)

というイメージがまかり通っている気がする。

 

私はこれをずーーーっと不思議に感じていた。

 

   陰キャがいてこその陽キャじゃん。

 

おとなしい人と比べたら明るく見えているだけの話であって、

陰キャがいなければ陽キャもない。

逆もまた然りだ。

 

私はどちらかといえばとよく考えても、

多分どちらにも属さない人間だとおもう。

場合によっては陽だし、ある時は陰だし。

これは周りの人からも言われることだ。

だから、別にどちらの味方をしようと思って

これを書いているわけではないことは理解いただきたい。

 

スクールカーストでは、

よく陽キャが上位になりやすい。

声がでかい、よく喋る子の意見でクラスが動いていく。

寡黙で目立つのが苦手な子は息を潜めたがる。

我こそは陽キャだ。

と言わんばかりに威張っているような人もいる。

 

たぶんおとなしい子たちは

陽キャブランドに憧れたりするんだろう。

 

だけど、

陽キャ陰キャだけで人間は分類できないから、

陽キャ陰キャと名前をつけて呼ぶこと自体おかしな話だ

と私は思う。

 

学校で典型的な陽キャである人ほど

家ではおとなしかったりもするし、

陰キャな子でも

喋ってみたら芸人ばりにつっこみがうまい子もいる。

 

あなたのコミュニティの

イライラするくらいの陽キャなあの子は、

元々の性格じゃなくて無理して演じているのかもしれない。

 

こういうのって意外と多い。

 

だから、

自分は陰キャなんだと

落ち込むのはナンセンスだし、

陽キャを無理に演じて疲れてしまうのは

自分に忠実になれていない証拠だ。

 

もっと自分に素直でいい。

 

あなたは陽キャではなく、

陰キャでもなく、

「あなた(の名前)」

という言い方でしか表せない

この世にたった一人の人間です。

 

さ、気楽にいきましょ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

文化人類学(Anthropology)とは

前回の投稿で、デザインと文学についての授業の話を書きたいと言ったけど、

後日受けた文化人類学の授業がおもしろかったので

そのことについて書いていきたい。

 

文化人類学。。。

なんですかそれ。

と思ったから、この授業を受けることにした。

今日は初回だったので、イントロダクション(導入)の内容だった。

まず、学問というのは不可視なもの言語を使って可視化していくものだ

という説明があった。

学問とは

なんて考えたこともなかったが、確かに

社会学は人間社会のごちゃごちゃとした仕組みを言葉で説明しよう

という学問だし、

理科系の学問だって、普通の言語に限らず数字も使ったりして

この世にある物質や動物、機械の仕組みを解き明かしている。

 

では、文化人類学は何を言語化しているのか。

それは、カルチャーショック。

だそうです。

 

文化人類学とは、さまざまな文化圏へフィールドワークに出向き、

参与観察(現地の人々と同じ生活様式を体験することでデータを得る手法)によって

文化の違い=カルチャーショックを民族誌として言語化する

という学問である。

 

では、カルチャー=文化とは?

これも考えたことのないような問いだが、

講師の先生はこう説明された。

「文化とは、世界を理解可能にし、

当たり前の日常を生み出す意味の網の目である。」

 

。。。。?

 

ひと目では意味不明だったが、

その後の話を聞いていると、少しだけわかってきた。

 

文化が違えば、食べるもの、家のつくり、服装、言語、宗教、思想など、

いろんなものが違っている。

視点を変えれば、文化が世界に差異をもたらし、

人々のそれぞれの日常を作っているといえる。

その日常は、一定の地域内で人々の当たり前をつくる。

 

文化があるから世界は多種多様な人々がいて、

それぞれの当たり前を生きている。

 

文化を理解することは世界を理解することであり、

文化は当たり前の日常をつくっている。

 

おそらくこう言ったことだろうか。

解釈の仕方はひとそれぞれだが、私はこう考えた。

 

まとめとして、文化人類学というのは

人々の当たり前をつくる文化の違いを、

実際現地へ出向き(フィールドワーク)非日常を体験することで

感じたカルチャーショックを民族誌として言語化する。

という具合に自分の中で落ち着きました。

 

こういうことを時間をかけて考える機会は

そうそうない。

だからなんか楽しかった。

 

それだけの話でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初授業 大学生1日目

今日から授業。ワクワクドキドキ。

朝は時間がなかったので味噌汁だけ飲んで、

目の周りを重点的に(というか目だけ)メイクして家からすっ飛びでた。

 

1日の授業をすべて終えての感想は、

「私って、本当に大学生になったんだなあ。。わああ。」

です。

 

やっぱり、合格発表を受けて

「大学生に、私はなる!!(キメ顔&握りこぶし)」

とは思ったものの、1ミリも実感が湧かずにいました。

入学式もあったけど、一番大学生をかんじたのは初授業だった

今日でした。

 

高校にはなかった科目、テーマを深く深く考えていく。

概念的で抽象的な難しめの題材もあって、脳に程よい負荷がかかっている感覚。

これまで続けてきた受験のための勉強からは

得られそうにない楽しさがあった。

 

ブログをしていると、授業中も

 

ブログでひとに伝えるには、どう説明したらいいんだろう。

どういう例えを使ったらわかりやすいんだろう。

ここは後で詳しく調べてから書かないと。

 

などと意識しながら聴くようになるので

主体的に授業が受けれることに気がついた。

 

今日の授業で学んだことは追々ここに書いていきたい。

内容はざっくりデザイン系、文学系の話です。

 

 

 

 

 

祝 第一回目ブログデビュー! 今日から始める新習慣

これが初投稿になります。いりこと申します。

この春から大学生になったのをきっかけに、ブログを始めました。

タイピングもままならない上、拙い文章ですが、誰か一人でも私の伝えたいことが届くことを願っています。

内容については、プロフィールの自己紹介にも載せています通り、

・大学生の暮らし・日常生活

四年制大学に通う学生の勉強事情(授業、サークル、課外活動を通しての学び)

・浪人経験を活かした、受験を乗り切るための役立ち情報

・私が社会に対して思うこと、今までの経験からこうじゃないかなあと思うこと

などなどです。

大学生のリアルな生活を知りたい方、

私の日記を読みながら大学生活を模擬体験したい方、

受験に燃えている高校生、浪人生、

またそうでない方にも楽しんでもらえるブログを目指します!

どうぞよろしくお願いします。